【映画】『シン・エヴァ』再び大論争。本当の結末
ATフィールド、使徒、人類補完計画……’95年のテレビ放映から謎が謎を呼び、20世紀末に社会現象となったエヴァンゲリオン。’07年からの新劇場版4部作もついに完結だが、その結末を巡ってまたも論争が起きている――。
3つの異なるエンディング
TV版最終2話は、モノクロの線画に、主人公の自己探求が続いて幕切れに。残された謎を明らかにするため、’97年旧劇場版が公開されるも、今度はヒロインのアスカが残したラストの言葉が「オタク」批判か、と賛否が分かれる。
そして公開中『シン・エヴァ』は一見、大団円のラストだったが、それゆえに納得できないファンも……。
(中略)
「壮大なエヴァの物語を終わらせたのですから、もう感謝しかありませんが……長年のファンのなかには裏切られたと感じる人もいるようです」
そう話すのは、’86年生まれの若手映画監督・松本純弥氏だ。彼は『カメラを止めるな!』でメガホンを取った上田慎一郎監督の友人で、上田氏がエヴァ全作品の観賞に挑戦するYouTubeチャンネルの企画に“エヴァオタ”として登場し、自らのエヴァ体験を交えた解説が好評を博している。
「自意識や人間関係の悩みをエヴァで救われていた人たちのなかには、『シン・エヴァ』の農村での集団生活や男女で結ばれていくラストに納得できずにエヴァを“卒業”できない人もいます。僕もそうでした。
繊細でクヨクヨしてばかりのシンジくんに共感し、『自分と同じだ』と、つらい時期に救われていたのに、急に大人になったシンジくんが『僕が泣いてもほかの誰も救えない。だからもう泣かないよ』なんて言いだした。
それを聞いたときに、『え? 僕はシンジくんの涙に救われていたのに! シンジくん、泣いていた自分自身を否定しないでよ!』とショックを受けました。シンジくんをマネて三角座りをして過ごしていたのに(笑)」(松本氏)
4回目の観賞で気がついたこととは?
しかし、4回目の観賞で松本氏は「自分の読みが浅かった」ことに気がついたという。
「前作『Q』で絶望したシンジくんが、再びエヴァに乗る決意をするまでの心の変化が丁寧に描かれていたのに、それを見落としていたんです。エヴァは鏡のようなもので、観る人の心の状態によって、ハッピーエンドにもバッドエンドにも映る。
小学4年生のとき、母と妹と3人で映画館で旧劇場版を観ました。性的なシーンもあって、親子3人では気まずかったが(笑)。まったく内容はわからなかったけど、帰りのクルマで、しぶしぶ付き合ってくれた母が『もしかしたら、あのコは……』と登場人物たちに共感していたのが妙に印象的でした」
エヴァにハマるタイミングも、卒業するタイミングも人それぞれでいいと松本氏は言う。
「庵野監督が手がけたエヴァには、TV版、旧劇、新劇の3つの終劇がありますが、どれか一つを選ぶ必要はなく、どれもが本当の終わり方だった。今は『シン・エヴァ』の終わり方がしっくりこなくても、いつかそれが必要になるときが来るかもしれません」
もう何も気にならない
終わった
信者だったんだけどシン見てからエヴァに関心が無くなった
シンは1回しか見てないし、テレビ放映する迄もう見ないんだろうな
>酷い作品だった
ほんこれ
前半は今までの流れとは関係なく農業やってて
後半はひたすら今までの答え合わせに終始
全てにおいて何の伏線も脈絡もなくてシラケた
映画館でQを見終わった時に
破のまま未完で良かったと思ったw
Qがかなりのネックになったなとシン観ながら
もし予告編からの結末だったらどうなってたんだろうと思った
いや、庵野だからやっぱりダメか
コレだよな
オチがどうとか以前について行けない
見れば見るほど面白くなる
俺も何度も観れるわ
Qはクソだと感じてたし、あの続きなら観たくないと思ってたが、前後編の一本の作品て考えると不思議とQも好きになる
これがQの半年後ぐらいに出てたらなぁ、とは思った
Qの評判の悪さを聞いてまたかと思って一切見てこなかったがシンでちゃんと完結できたと聞いてQ見てすぐシンも見に行ったわ
とりあえず終わらせたってことを確認する為だけに見るアニメ
庵野が興味失ってて
ウルトラマンやライダーの仕事があるから
突貫工事で終わらせただけの映像
ていうのがわかるNHKのドキュメンタリーが真の完結編
コンテンツが衰えたところに現れてメインヒロインになるよな
作品後半とか続編の箔付けによく登場してくるので
特に好きじゃない自分はいつもげんなりする
>>47
すげーわかる
この際、死んでてもいい。
どうなったんだ?
クローンの式波と融合したんじゃないの?
最後の砂浜のシーンで出てくるのは惣流
眼帯もしてない、クローンと融合した
ええ、、いつ融合したのよ
つか、そしたら融合によってオリジナルの人格は失われてしまってんじゃんよ
それこそ死ぬより最悪じゃん
つーか、オリジナル人格がケンスケを選ぶと思う?
惣流なら加持さんだよな
亡くなってるからシンジに行く可能性はあるが妥協してケンスケは絶対無いわな
貞本コミックのシンジに手握られ続けただけで嫌がる最終回のアスカこそが惣流らしかった
いや加持にはいかんだろ
あれはエレクトラプレックスにも似た年上や父代わりの異性への憧れであって
本気の恋じゃない感じするんだよなぁ
使徒に精神侵食された時に出てきたセリフが加持さんどうしよう汚されちゃったよだからシンジがよっぽど頼れる奴にならないと心変わりは難しい
大人になっても親くらいのオッサンと結婚する女が居るのと同じ
シンジに関してはそうだけどケンスケに行くのは割と納得だけどな
大人ケンスケは実に頼りがいのあるヤツに成長してんのは
シン・エヴァみてりゃ分かるじゃん
それに14年間過ごしてた歳月もあるんだし
加持がいないのなら妥当かなと思ったよ
ケンスケは他人をよく観ているし距離感の取り方が上手い
アスカの求めてるものがシンジにはなくケンスケにはある
最後の駅シーンで成人したアスカがゲームしてたからケンケンとはくっつかず終わってるからね
あくまで(幼女アスカ)が寂しさからアタマ撫でてくれるパペットの中身がケンケンだっただけで
異性としてのパートナー居場所としてじゃない
その後の砂浜補完で28歳のアスカが14歳のシンジに異性として照れてシンジの過去形の好きだったの反応で実はアスカはずっとシンジが好きなのは説明描写となっている
居場所として本当に求めてた存在はシンジの女になりたかった
赤い海の渚でお互い昔は好きだったと別れの告白して
ケンケンの居る世界に帰ったよ
アスカの同意なしで射出されてる。
あの時、私もエヴァのない世界に行くって言ったらどうなってたんやろね
メインヒロインとしてこれからは2次元美少女ではなくわが社の取締役を推していきますってなかなか斬新だと思うよ
「他者」と現実を生きていく事を示すエンド
その「他者」の象徴がアスカからマリに替わっただけ
マリとシンジって作中に数分間しか接点ないよね
他者の象徴ってわりにはなれなれしすぎない?
他者ってあんなに親切に手を引っぱってくれるもんなの?
そもそもマリって誰なのよ?
ここんとこいい加減説明してほしいわ
わかりやすい作品なら(笑)
庵野監督は昔
「エヴァの登場人物は全部自分」みたいなことを言っていた
シンジもゲンドウもミサトもレイもそう
マリって庵野監督が作ったキャラじゃねーのよ
プロデューサーが新キャラ出すことを要望して
他のスタッフが考えて創った
庵野エヴァの世界ではまさに「他者」なんだよね
いやぁ、サービス精神あるな~、庵野さん
いいかげん見にいこうよ…
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【引用元】https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1618665361/
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